ブラームス:ハンガリー舞曲集

ブラームス:ハンガリー舞曲集
演奏活動は行っていたが後に作曲専業になることを決意してほとんど演奏活動からは手を引く。少々テンポが速いのが「ん?」と思わせてしまうのだが、その分、演奏全体に勢いがあり中盤での盛り上がりはさすがカラヤンといった感じ。ブラームス自身はピアニストとして確かな腕を持っていたが、同時代の名手と比べると地味な存在であった。
多くの人は、ブラームスをベートーヴェンの後継者であると信じており、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評し、その通称は未だに広く使われている。お馴染みのメロディーを軽快に演奏してくれています。この2曲のピアノ・パートは共に難度が高く、これを自分で弾きこなしたブラームスのピアノ演奏技術は高いものであったのではないかと思われる[要出典]。
70年代から大量の録音を残しているこのコンビですが、本盤はその中でも最良の1組ではないかと思います。ウィーン・フィルならではの美音はもちろん、アバドのしなやかなリズム感が素晴らしく、内容が薄くなりがちな第三者の編曲によるナンバーも、飽きさせず聴かせてくれます。
交響曲の全楽章を通しての世界観もいいけど、ちょっとの合間に聴きたいって時はこういうのもアリだとおもいます。
シューベルト:交響曲第8番「未完成」、第9番「ザ・グレート」

シューベルト:交響曲第8番「未完成」、第9番「ザ・グレート」
リズムの鋭い切り込みと躍動感に溢れ、感傷的なシューベルト像とは無縁ながら、第2楽章中間部や第3楽章トリオでの優美なロマンティシズムは、ミュンシュ=ボストンならでは。 50年前の録音が今でもなぜこんなにも新鮮に響くのか?時代を超えて生き続ける、ステレオ黄金期に録音された永遠の名盤が究極のリマスタリングを経て、SACDハイブリッドとして新たな生命を得る。
特にオーケストラがNPOと云う事で、弦パートの絹の様な芳純な味わいが何とも云えない。冒頭の淡々とした表現から次第に盛り上がって行く様子も実に自然で、例によって曲の随所に「歌」が溢れているところがワルター翁の真骨頂と云えよう。こちらは他の一連の録音同様にCOSOを振っているためNPO程の緻密な演奏にはなっていないが、やはり随所にワルターらしい歌心がちりばめられていて素敵ですね。
「メリハリの利いた演奏」というのはまさしくこのことを指して言っているのだな、と実感させてくれるような演奏で、何だか情熱的なシューベルトをそこに見たような感じのフィッシャー指揮の演奏でしたね。最近の記事「スーパーくろしお1号」へ…第24回「5 000人の第九」のこと「銀河」ついに西日本エリアへ「銀河」首都圏をあとに…「銀河」熱海に向かう…東京をあとにする「銀河」間もなく本番…昨日一日の足取りを振り返る…「5000人の第九」リハーサル終了「銀河」東京到着。
アダージョ・カラヤン・プレミアム

アダージョ・カラヤン・プレミアム
3歳のときにピアノを習い始め、4歳半で公開演奏をおこなうなど、当時はピアノの神童として騒がれていました。特に専用のプレイヤーを必要とせず、通常のCDプレイヤーで聴くことのできる高音質技術を使用したCDは、現在いくつかあったそうですが、SHM-CDの音質はその中でも特に素晴らしいものだと思います。
今では当たり前のように、クラシックの癒し系の曲を色々と切り抜いて集めたようなCD集が発売され、よく売れていますが、これはその走りとなったといわれる『アダージョ・カラヤン』のSHM-CD版、高音質版です。これまで聴いていたような、細部がつぶれて不鮮明な音質の、通常のCDはもう聴きたくない、戻りたくない。
CDで、こんな解像度の高い音楽が聴けるとは。カラヤンバイオグラフィーカラヤンは1908年4月5日、外科医の父エルンストと母マルタの次男として、モーツァルトの故郷オーストリアのザルツブルグに生まれました。私はSHM-CDの音質に興味があり、私の好きな曲である、3トラック目に入っているタイスの「瞑想曲」目当てで購入してみたのですが、これは当たりでした。
RBSOニューイヤーコンサート2004 モスクワ~ロシアより愛をこめて

RBSOニューイヤーコンサート2004 モスクワ~ロシアより愛をこめて
どの曲も西本流の解釈が貫かれているが、全体的に、リズミックな部分で、重さを感じたり、弦の明瞭度が失せたりするのは、縦線が甘くなるからだろうか? なお当盤には、奏者や曲名を紹介する司会者の声と、熱狂的な拍手や歓声も収録されていて、会場の雰囲気をそのまま伝えている。
以前、西本さんに聞いた話だが、ロシアではこういったポピュラー名曲だけでプログラムを組む演奏会は少ないそうですね。ロシアでも、日本でも、どちらでもよいので、早く生で西本さん指揮の現在の“ミレニウム”の演奏を聞きたいです。「1812年」は、以前のCD録音の演奏より迫力があっていい。
私がいままでの人生で聞いた「モルダウ」の中で、一番の名演奏です。「ダッタン人の踊り」で合唱団が少しうまく歌えていないところがあったそうですが、それは西本さんやオーケストラの責任ではなかったそうですので。「レズギンカ」「1812年」「ダッタン人の踊り」などは、既発売CDにも収められているが、厚く迫力あるサウンドで収録された今回の演奏は、さらに熱気を孕んでいる。
抜群のリズム感が光る「レズギンカ」、いつ聴いても、あの躍動感と迫力は快感です。演奏者の心からあふれ出る一つ一つの音にとても表情があって、それぞれの曲がすごく活き活きとしてるのかも?
ドヴォルザーク:交響曲第9番

ドヴォルザーク:交響曲第9番
第2楽章もあまりしんみりとした感じではないし、第4楽章の第1主題で一つ一つの音を短めに、マルカートっぽく演奏される部分では違和感も感じる。全体に遅めのテンポで,ドヴォルザークの民族色や土臭さ,野生的なエネルギーなどは余り感じられない演奏だが,ヒューマンな暖かさは他にかえがたい魅力がある。
第3楽章の冒頭部後、ホルンのみ半拍ほど先行させる解釈は特異だが、慣れると通常の演奏が物足りなく思えてしまうから不思議ですね。カラヤンは早期から録音技術の向上に意欲的で、その意味では最小のピアニシモと最大のフォルテシモで、アナログ盤でのダイナミズムを最大限引き出した1枚と言える。
同系統の演奏では、過去にアナログ盤の時代にディスク大賞を受賞した、シルヴェストリ/フランス国立響盤があるが、ロストロポーヴィッチ/モスクワ放送響に至っては、まるでオバサン(該当者には失礼!?)の井戸端会議のようにあらゆる音が弾け飛んでくる。個人的には好みなので星4.5と言う感じだが客観的には星4つであろう。
コロンビア響の表現力が充分でないため、もどかしさはあるものの、特定の時代に生きた人にだけ表現できる何かがある気がしてくる。クナやワルターを信奉するマニアの同級生達から「カラヤンなんて商業主義だ」「あのねのは本当の音楽じゃない」と聞かされる(思えばすごい同級生達だった)前にこの録音を聴けたのは幸運だったのです。
トランペット吹きの休日~ルロイ・アンダーソン・ベスト

トランペット吹きの休日~ルロイ・アンダーソン・ベスト
それを大人向けの軽妙な作品に仕上げるには、普通のクラシックの演奏とはまた別のセンスが必要。クリスマスになると商店街から流れてくる「そり滑り」をはじめ、ラジオや運動会のBGMなどを通じて、作曲家の名やタイトルを知らなくても、アンダーソンの作品は、誰もがどこかで耳にしたことがあるはず。
本CDでは、抜群のセンスに支えられた質の高い演奏を味わう事ができちゃいます。約3分という時間のなかに、アイデア賞ものの仕掛けを盛り込んで、多くの人のハートをキャッチしたアンダーソンの世界を、スラットキンとセントルイス響の名コンビがスタイリッシュに再現。・破損品/汚損品/CDの音が飛んでしまうなどの不良品をお送りしてしまった場合。
一歩間違うと単なる子供向けのお遊びや、その場限りのおふざけに終わってしまう危険性が高いのです。ある意味では、こうした曲こそキチンとした演奏でやってほしいし、録音状態も良いにこしたことはない。録音も現代的でワイドレンジかつ奥行があり、オーケストラを満喫出来るアルバムだと思います。
子供の頃にどこかで聴いたあのメロディーが蘇ります。ストラットキン指揮、セントルイス交響楽団、大オーケストラの正統派演奏を得て、曲一つ一つが心に迫ってきます。
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」
そこで、両者の録音の中でも、それぞれ最上の演奏と評価されている、1971年録音のクーベリック指揮ボストン響盤と、1975年録音のノイマン指揮チェコ・フィル盤を聴き比べてみた。聴覚を失い精神状態も最悪になった作曲家の、そして圧政下にあった当時のチェコ国民の魂の叫びを一番よく伝えているのはこの演奏ではないかと思う。
「♪ボヘミアの河よ〜モルダウよ〜」という歌を、学校の音楽の授業などでうたった方も多いのではないでしょうか?“モルダウ”とはスメタナの故郷チェコを流れる国の象徴のようなモルダウ河のことです。基本のアンサンブルは絶頂期のチェコPOだけに万全だし恍惚と輝く弦の美音や木管の調べは美しい限り、何より焦りにも似た切迫感、緊張感が素晴らしい。
その後クラリネットを始めとした各楽器の合流が、水かさを増す流れの様子を描き、やがて河として姿を現すところで有名なモルダウの主題が始まります。記憶では、ボストン交響楽団とはこの「わが祖国」とバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を録音してるのかも?ちなみに、両者を聴き比べていると、当時のボストン響の輝かしく明るい音色と、チェコ・フィルの暖かく、まろやかな音色の違いにも気付かされ、非常に面白かった。
メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」&第4番「イタリア」

メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」&第4番「イタリア」
確かに、メンデルスゾーン作品の簡潔明快な様式感と伸びやかな旋律美はアバドの資質と完全に合致するもので、ここでの演奏も、とりわけ交響曲第4番の鮮やかな心地よさはさすが十八番の名に恥じません。有名な3番・4番のカップリングは名盤もたくさんあるが、この当時のアバド&ロンドン響は蜜月の関係で、激しい曲も柔らかな曲も見事にこなしている。
番号付き交響曲の全集に加え、『フィンガルの洞窟』をはじめとする7つの序曲に弦楽八重奏曲からの「スケルツォ」と、収録作品の多さも魅力です。アバド&ベルリンよりベストマッチな演奏も多く、このメンデルスゾーンも後発のベルリンフィルとのライヴよりこのロンドン響のもののほうがお勧めです。
多くの評者から「メンデルスゾーン演奏の指標」と絶賛を受けている名盤中の名盤。弦の音を通してイタリアのまばゆいばかりの太陽の光がリスニングルームに差し込んで来る。スコットランドの草原の上に広がる空、地中海の上に広がる空。・破損品/汚損品/CDの音が飛んでしまうなどの不良品をお送りしてしまった場合。
しかもヴァイタリティ一辺倒に終らず、細やかなフレージング処理や楽器間のバランスなど細部にまで神経を通わせた構成はさすが。
ベルリオーズ:幻想交響曲

ベルリオーズ:幻想交響曲
交響曲第5番のフィナーレにおける第3楽章の回帰や交響曲第9番に見られる第1楽章から第3楽章までの主題の回帰なども、固定観念の先駆的な要素と捉えることができる。1855年に全面改訂された際には採用されず、新全集版でもスコア本体への記載は無いが、旧全集版および音楽之友社スタディ・スコア(OGT235)にて参照できる。
この他に《死者のための大ミサ曲(レクイエム)》(1837年)にみられるように、楽器編成のはなはだしい拡張や、色彩的な管弦楽法によってロマン派音楽の動向を先取りした。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。
序曲が残され、単独で演奏されるようになった他、このオペラからはいくつかの曲が他の作品(葬送と勝利の大交響曲の第2楽章など)に転用されてますよん。また他には、ベルリオーズはスミスソンを一人の女性として彼女の人間性に惚れたのではなく、彼女が演じる役(「ロミオとジュリエット」の「ジュリエット」等)に惚れたために、彼女と結婚して彼女が普通の女性である事に気がつき失望したのだとする説もある。
ヴォカリーズ・リラクゼーション

ヴォカリーズ・リラクゼーション
作曲者自ら管弦楽に編曲しているが、キーシンや富田勲らの多彩な編曲/演奏が楽しめるかもしれない。作曲者自ら管弦楽に編曲しているが、キーシンや富田勲らの多彩な編曲・演奏が楽しめるかもしれない。作曲者自ら管弦楽に編曲しているが、キーシンや富田勲らの多彩な編曲/演奏が楽しめるかもしれない。
>>WindowsMediaPlayerのダウンロードはこちら>>RealPlayerのダウンロードはこちら各プレイヤーのインストール・使用方法はそれぞれのサイトをご参照下さい。演奏家による解釈と演奏は、ただただうっとりするばかりです。
シューマン:交響曲全集

シューマン:交響曲全集
構成や各楽章のありようも型破りで、全体を説得力をもってまとめた演奏をぼくはほとんど聴いたことがない。終楽章など遅めのテンポですが感情豊かなで熱のこもった演奏が忘れられない。このテンポは見事に決まっている」「ふつう、ここから第2主題への移行あたりでもたついたり、あわててギアチェンジしてギクシャクしたり、指揮者の苦労が察せられるところ(´ー`)。
ここが空きすぎて切れた感じがしてはいけない」「第2楽章の深みのある響きは中世の時代を思わせる。ぼくとしてはもう少し落ち着いた足取りが好みだが、内的興奮というか、結尾に向けてどんどん気持ちが高まっていくので、これも納得できる」「全体に速めで、2番より演奏時間が短いというのも面白いな」 第4番「出だしの重厚な響き。
シューマンオリジナルのフルートと弦のブレンドされた響きが魅力的に再現されている」「ケルンのオケで選んだのは正解だったんじゃないか(´ー`)。これは、合格といえよう」「全体にスケール感は小粒な感じだが、間延びしたところがなく、木管がよく聞き取れるのは古楽器演奏の影響があるのだろうか」 第2番「第1楽章の序奏からしてアンサンブルが有機的。
曲を鷲づかみにするようなスケールの大きな視点、要所に意図的に強靱なアタックを入れて、メリハリ感を出す。
ラヴェル:ボレロ、他

ラヴェル:ボレロ、他
私の場合、クリュイタンスのフランス音楽集は、CD時代到来直後の1987年に一通り買い揃え、それで聴いてきたのだが、率直にいって、必ずしも、世評どおりの感想を抱いていたわけではない。この新盤を聴いてみると、クリュイタンスが、単に、フランス的な、洗練された優美な演奏をする指揮者であるというだけではなく、強烈な色彩感にも秀でた、情熱的な演奏をする人でもあるということが、実によく理解できるのですね。
特に、「スペイン狂詩曲」の「祭り」や「ラ・ヴァルス」を聴いていると、新旧両盤の違いは一目瞭然で明らかとなり、旧盤では、詰まったような感じだった強音が、新盤では、実に気持ち良く抜けてくれるのですね。ラヴェルがこの曲のスコアに付した光景が眼前に浮かんでくるような、見事な設計の演奏と思い知らされたのですね。
その最初の1枚がこのCDなのだが、このCDを聴き終えて、改めて、デジタルのCDといえども、年数が経過すれば、大幅な音質の進化があるという事実を、つくづくと思い知らされただけでなく、クリュイタンスのフランス音楽の真価にも、今になって、つくづくと納得させられる結果となったのですね。
そこで、この12月から来年2月にかけて、クリュイタンスのフランス音楽集が続々と再発売されるのを契機に、新盤も買い揃え、新旧両盤で同じ曲を比較しながら聴いてみることにした。
マーラー:交響曲第9番

マーラー:交響曲第9番
その他の作品交響詩葬礼(本来、交響曲第2番の第1楽章の草稿)スケルツォ(未完成)花の章(本来、交響曲第1番の第2楽章の原型)葬送行進曲の序奏付きのポルカ(最初の作品で、6歳の時に作曲。作品の演奏が頻繁に行われるようになったのは、「新ロマン主義」が流行した1970年代からであり、幸か不幸か前衛の停滞が彼の名声に大きく貢献した。
残念なことにオーケストラの演奏の録音は時代の制約もあり残っていないが、交響曲や歌曲を自ら弾いたピアノロール、および唯一ピアノ曲の録音(ただし信憑性に疑問がある)が残されてますよん。大規模な交響曲を創作のメインとする作曲家ですが、響きの魅力もあって、その人気はまさに現代のトップクラス。
また、「嘆きの歌」は交響的であるが交響曲の記載がなく、「大地の歌」は大規模な管弦楽伴奏歌曲であるが、作曲者により交響曲と題されていても、出版されたスコアにはその記載がない。肝心の演奏の方も「大地の歌」に並ぶワルター屈指の名演で音質も優れた超有名録音です。なおかつそれら各部が有機的に結合されつつ前進していくため、感情移入的演奏を耳にすると初心者には雑多に聴こえてしまいがちなマーラーの濃厚なロマンティシズムが、知らず知らずのうちにすっと聴く者に入ってくるのですね。
マーラー:交響曲第8番

マーラー:交響曲第8番
また、中間部の主題は、ウィーン音楽院でのマーラーの親友で、近年再評価が進んでいるハンス・ロットの交響曲ホ長調第3楽章の第1主題からの引用の可能性が指摘されてますよん。このため、純粋に演奏上の指示とは別に、別働隊の配置場所や独唱者をいつの時点でステージに招き入れるか、合唱隊をいつ起立させるかなどの演出的な要素についても指揮者の考え方が問われる。
マーラーはテキストの最初の二連を使い、各連末尾の「ハレルヤ」は削除、三連以降は自作の歌詞を加筆した。第2楽章過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。オルガンや舞台外の楽隊を含む大編成の管弦楽に加え、第4楽章と第5楽章に声楽を導入しており、立体的かつスペクタクル的な効果を発揮するのです。
10月、マーラーは作曲済みの第1楽章をショット社に送付し、単一楽章の交響詩として出版することを打診した。同年10月、マーラーは改訂した「交響詩」に『巨人』の標題を付してハンブルクで演奏、翌1894年7月ヴァイマルで再演するが、いずれも成功しなかった。古巣との昔の録音が大器を思わせるものがいくつかあり、ベルリンフィルの音楽監督に就任した際は、ものすごい期待感があっただけに、サイモン・ラトルという指揮者がこれほど才能が無いとは、「落胆」の文字しか浮かばない悲しい現実です。
マーラー:交響曲第7番

マーラー:交響曲第7番
その他の作品交響詩葬礼(本来、交響曲第2番の第1楽章の草稿)スケルツォ(未完成)花の章(本来、交響曲第1番の第2楽章の原型)葬送行進曲の序奏付きのポルカ(最初の作品で、6歳の時に作曲。作品の演奏が頻繁に行われるようになったのは、「新ロマン主義」が流行した1970年代からであり、幸か不幸か前衛の停滞が彼の名声に大きく貢献した。
トーマスは最上の意味で、その場その場の音と音楽の在り方を、鋭くも的確に追求している。スーパーカーで豪華、颯爽と突っ走っているような演奏でありながら、実に心細やかにナイーブなフレーズ(一楽章)、不安の表出(三楽章)、堂々たる歓喜(終楽章)を十全に示したこの演奏は、間違いなく人類史上最高の演奏です。
残念なことにオーケストラの演奏の録音は時代の制約もあり残っていないが、交響曲や歌曲を自ら弾いたピアノロール、および唯一ピアノ曲の録音(ただし信憑性に疑問がある)が残されてますよん。大規模な交響曲を創作のメインとする作曲家ですが、響きの魅力もあって、その人気はまさに現代のトップクラス。
曖昧な要素の多い芸術の「視点」を考える意味から、インバルは興味深い仕事をしているし、現象+意識+細部の、主客が消失した特異的なマーラーとして大変面白い。
時の踊り/カラヤン、オペラ名曲集

時の踊り/カラヤン、オペラ名曲集
フィルハーモニア管弦楽団とも似たようなのを録音してますが、こちらは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、フィルハーモニア管弦楽団より重厚で、美しく演奏してるのかも?このアルバムは《魔弾の射手》序曲や《時の踊り》など、8曲のオペラの序曲や間奏曲を新たにカップリングしたもので、オーケストラだけでオペラ鑑賞の雰囲気を味わうことができる一枚です。
・破損品/汚損品/CDの音が飛んでしまうなどの不良品をお送りしてしまった場合。カラヤンはオーケストラの小品を演奏する場合でも全身全霊を傾けて指揮しましたが、その結果他の追随を許さない超絶的な名演奏を数多く聴かせてくれました。カラヤンならではの豊饒にして洗練を極めた演奏をお楽しみください。
上の商品といっしょにこちらもあわせてどうぞ。カラヤンならではの豊饒にして洗練を極めた演奏をお楽しみください。
モーツァルト:教会ソナタ[全17曲](再プレス)
 (商品イメージ)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21ikQiD0wSL.jpg)
モーツァルト:教会ソナタ[全17曲](再プレス)
国内盤LPについていた海老澤敏先生の詳細かつ貴重な解説とアランの最近のインタビューが載っているので、充分元は取れる。本来ミサの間に演奏される曲なのでこうした全集自体邪道なのかもしれないが、まとめて聴いてみたいのも人情。アランとパイヤール室内oの明澄な音色と表現がこれによくマッチするのです。
古典的ソナタ形式で書かれた短い曲で、全体が軽い曲調をもち、快活で明るい魅力が、アランのオルガンとパイヤール指揮による生き生きした演奏で堪能できちゃいます。モーツァルトは、ザルツブルクの教会のために、典礼ミサの中で演奏される、オルガンとオーケストラのための教会ソナタを17曲書いています。
発売当時に大好評を得たシリーズですがその後は生産中止となり入手が困難でした。フランス音楽とバロック音楽の名門エラート社が最初のLPを発売してから50周年目の2003年に、これを記念して50タイトルを選び、オリジナル・マスターから96KHz/24bitテクノロジーを使って全点新規にリマスターして発売された日本限定企画のエラート・アニヴァーサリーシリーズ。
3〜4分の短いソナタながら古典的なソナタ形式をベースに快活な瑞々しい音楽に仕上げている。右のボタン画像をクリックし、手順に従ってインストールしてください。
ブラームス:交響曲第1番

ブラームス:交響曲第1番
カーゾンは澄んだ美音のうちに作品の本質を見事に浮かび上がらせるピアニストで、独墺系の古典派やロマン派の作品に優れた解釈を示しました。 感性で勝負するか、感覚的に表現するか‥前者の代表盤は言わずと知れた小澤盤! 後者ではサロネン盤が代表盤でしょう。‥ラトル盤はサロネン盤に近いのだが、小澤盤にもある色気みたいな表現もあり、(サロネン盤には、この色気みたいなものは殆ど感じられなかった‥)2つの演奏の中間の演奏表現の様な感じがしちゃうんだよ。
ブラームスの協奏曲は華やかな技巧よりも作品に内在する抑制された沈鬱感を見事に表出した演奏で、セルの指揮する緊迫感に満ちたオーケストラにも圧倒されます。(確か‥日本語読みが違った様な?)この曲の独奏には、ロリオ姉妹だと言っていた昔が懐かしい。端正ななかにも深い精神性をたたえるカーゾンのピアノと、緊迫感みなぎるセルの指揮。
カップリングはこの録音の初出の「世の終わりのための四重奏曲」の方がメシアンの世界に浸れて良かったと思いますよ‥。 バーミンガム市響は色彩感のある素晴らしい演奏で最高です!ラトルはこのオケとずっと演奏してもらいたかった。今のラトルはこのオケに育ててもらったのだから! 独奏のドノホーも感性の鋭い演奏でお見事!日本にはCDもあまり出てなくて本当に残念です。
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」、他

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」、他
私自身の「5000人の第九」への合唱参加は2004年以来4年ぶりで、円光寺雅彦指揮の下での合唱参加は初めてとなるんだよ。 第4楽章を聴いていて、ベートーヴェンが管弦楽法の究極を追求するために、「楽器としての人声」を独唱と合唱をもって置いたのではないかという仮説をトスカニーニ盤ほど実感させてくれるものはないだろう。
何だか純粋な形で「ある英雄の思い出」を語らせているかのような印象を受けた、ワルベルク指揮の演奏だったように思っています。しかし、そこには作曲家のひとつの明確な意図が伏在していると感ぜずにはおかない強い説得力がある。しかし、その集中度、燃焼度は凄まじくリスナーは音の強靱無比な「構築力」に次第に圧倒されていく。
なお、第4楽章(終楽章)では主題に『創作主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調作品35(エロイカ変奏曲)』や『「プロメテウスの創造物」作品43』のフィナーレ部分等で用いられているメロディが登場してきます《尤も『「プロメテウスの創造物」作品43』フィナーレ部分にしても『エロイカ変奏曲』を基にしているらしいのですが…》。
で、今回聴いたのは約10年前の1998年6月24日にNHKホールで行われたNHK交響楽団第1357回定期演奏会に於ける演奏で、指揮を務めたのは1923年に生まれて2004年にこの世を去ったドイツ出身の指揮者で、生前N響を160回以上指揮したともいわれているハインツ・ワルベルク。
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」&第8番

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」&第8番
この楽章の細部の多様な側面が次々と明らかにされ、それらが有機的に作用し全体のなかでしかるべき意味を発している。私自身の「5000人の第九」への合唱参加は2004年以来4年ぶりで、円光寺雅彦指揮の下での合唱参加は初めてとなるんだよ。私はそれらの録音を隈なく聞いたわけではないが、代表的な演奏は幾つか聞いてきた。
さりげなく剛毅華麗な演奏を繰り広げるバックハウスや、シャープなのに豊かな音楽をスマートに聞かせるグルダとも違う、「貴族的完ぺき主義の使徒」としての輝かしい演奏といえよう。何だか純粋な形で「ある英雄の思い出」を語らせているかのような印象を受けた、ワルベルク指揮の演奏だったように思っています。
第二楽章は一貫して硬質な音色で純度の高い演奏ですね。だが、この演奏を聴くと、それは、もしかすると、ミケランジェリと言ふピアニストの為の付けられた名だったのではないか?と言ふ気がしてして来る。パリ管のコンサートでは「ポリーニもブレンデルもバレンボイムも全く児戯にすぎない」とさえ言わしめた絶対的境地がこの演奏の上に存在したのですね。
なお、第4楽章(終楽章)では主題に『創作主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調作品35(エロイカ変奏曲)』や『「プロメテウスの創造物」作品43』のフィナーレ部分等で用いられているメロディが登場してきます《尤も『「プロメテウスの創造物」作品43』フィナーレ部分にしても『エロイカ変奏曲』を基にしているらしいのですが…》。
パッヘルベルのカノン(再プレス)

パッヘルベルのカノン(再プレス)
その後、定番名曲として非常に多くの演奏家が録音しましたが、パイヤールの最初の録音が今でも圧倒的な人気があったそうです。世界的な大ヒットを記録し、マイナー・レーベルとして発足したエラートの名声を一挙に高めたのが、パイヤール指揮の「パッヘルベルのカノン」。カノンはピアノ曲としては難しい曲でしょうか?お気に入りの曲で、一度は弾いてみたいと思っているのです。
発売当時に大好評を得たシリーズですがその後は生産中止となり入手が困難でした。(200円)iPodを使って新しいライフスタイル、始めませんか?「音ヨガ」(200円)あなたのくちびるの為に上質のケアを…。有名なカノンも、感傷にオチず、どこかゆったりしみじみと味わいが沁みてくる。
誰もが知ってる有名な曲で印象的な旋律だなって思ってる程度だったのです。 日本最大の無料ブログ |livedoor|ヘルプようこそ、ゲストさんブログを作成/管理ページにログインlivedoor Blog(ブログ)[PR] 証券カンパニー 1番人気なのはどこ?ブログをはじめよう。北斗星の旅外出先からもブログをチェック。
フランス音楽とバロック音楽の名門エラート社が最初のLPを発売してから50周年目の2003年に、これを記念して50タイトルを選び、オリジナル・マスターから96KHz/24bitテクノロジーを使って全点新規にリマスターして発売された日本限定企画のエラート・アニヴァーサリーシリーズ。
ホルスト:惑星

ホルスト:惑星
黄道12宮を金羊宮(おひつじ座)から始まる伝統的な順番に並べるとその守護惑星は、重複と月・太陽を無視すれば楽章の順序に一致するのです。「火星」と「金星」の順番が逆なのは、最初の4曲を交響曲の「急、緩、舞、急」のような配列にするために、ホルストが意図的に順番を変えたのだとする意見がある。
構成作曲当時太陽系の惑星として知られていた8つの天体のうち、地球を除いた7つの天体(すなわち水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星)に、曲を1曲ずつ割り当てた、全7曲で構成される組曲ですね。予てよりホルストは、作曲家アーノルド・バックスの兄弟で著述家のクリフォードから占星術の手解きを受けており、この作品の構想にあたり、占星術における惑星とローマ神話の対応を研究している。
西欧ではヘレニズム期より惑星は神々と結び付けられ、この思想はルネサンス期に錬金術と結びついて、宇宙と自然の対応をとく自然哲学へと発展した。ただし、特殊楽器の多用や女声合唱の使用などが実演の障壁になることも多く、全曲を通しての演奏の機会は必ずしも多いとはいえない。
「火星」と「金星」が逆であることを例外として、各惑星は軌道長半径上で、地球から近い順番に配列されてますよん。
サン=サーンス:動物の謝肉祭

サン=サーンス:動物の謝肉祭
サン・サーンス自身はこの組曲を仲間内だけのお遊び程度に考えていて、出版する気はなかったのですが、結果として有名な「白鳥」などと共に彼の代表作のひとつになってしまいました。この曲もドラマの後半を中心に、千秋の催眠術シーンなど印象的な場面で何度も使われました。
「動物の謝肉祭」といえばカップリングは「ピーターと狼」だ、みたいな決め事ができてしまっているが、なにもそればかりが能ではない。オリジナルのスコアにはグラス・ハーモニカというコップに水を張ったような楽器の指定があったそうですが、現代ではグロッケンシュピールやチェレスタなどが代用されています。
各曲それぞれの雰囲気作りは見事ですし、“ピアニスト”の演奏はこれくらいふざけてないとさまにならないんです。まず驚いたのは日本盤は2種類のライナーが用意されていて、一つは大人用(変な表現だが・・)一つが子供用になっているところですね。この曲を古典的名曲としてききたい方は眉をひそめられるかもしれないが、わたしとしてはこの曲はこうでなくちゃ面白くないという気がするのです。
音楽の内容そのもので言えばサン=サーンスよりずっと傑出しており、パリ音楽院管弦楽団のメンバーもいちだんと乗っている。
ビゼー:《アルルの女》第1・2組曲/《カルメン》第1・2組曲

ビゼー:《アルルの女》第1・2組曲/《カルメン》第1・2組曲
でも、露骨なフランス臭さでなく、どこかで薫るフランスの響き、バランス良く現代的な響きが好きな方には是非おすすめしたい1枚です。その中からビゼー自身が4曲を選んで、演奏会用組曲としたのが第1組曲、ビゼーの死後、友人のギローがやはり4曲を選んでまとめ上げたのが第2組曲です。
最初の2つの組曲を聴くためだけにでも、これは持っていて良いと思える1枚ですね。筆者は、ヨーロッパから帰る飛行機のなかでこの演奏に出会い、涙しました。ここまでだけだったら、星5つにしたのだが、その後におまけがついている。印象に残る美しいメロディーで始まり、アルルの女の第2組曲のメヌエットも多分聴いたことのある曲。
ところが実は「メヌエット」は「アルルの女」の音楽ではなく、それ以前にビゼーが書いた歌劇「美しいパースの娘」に登場する二重唱のアリアからの転用なのです。しかしギローによるこのアイデアが功を奏し、「アルルの女」はビゼーを代表する作品にまで高め上げられたといえます。
仏・露の音楽を得意とするデュトワの、熱くて、でも洒落ていて真骨頂とも云うべき出来ですね。それも歌部分ではなく、それをカットしたオーケストラの伴奏部分を用いています。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第7番

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第7番
この楽章の細部の多様な側面が次々と明らかにされ、それらが有機的に作用し全体のなかでしかるべき意味を発している。私はそれらの録音を隈なく聞いたわけではないが、代表的な演奏は幾つか聞いてきた。さりげなく剛毅華麗な演奏を繰り広げるバックハウスや、シャープなのに豊かな音楽をスマートに聞かせるグルダとも違う、「貴族的完ぺき主義の使徒」としての輝かしい演奏といえよう。
第二楽章は一貫して硬質な音色で純度の高い演奏ですね。だが、この演奏を聴くと、それは、もしかすると、ミケランジェリと言ふピアニストの為の付けられた名だったのではないか?と言ふ気がしてして来る。パリ管のコンサートでは「ポリーニもブレンデルもバレンボイムも全く児戯にすぎない」とさえ言わしめた絶対的境地がこの演奏の上に存在したのですね。
歴史ある音源は今までにない新鮮な響きを取り戻し、最新の音源もオリジナル・マスターに肉薄する音質を実現しちゃったのです。冒頭からしてこれほど透明な音色で高貴な響きをした「皇帝」は今まで聞いたことはなかった。ようやくピアノの前に陣取った天才イタリア人は、何かに憑かれたかのようにピアニズムの万華鏡を繰り広げる。
−−「皇帝」に関しては、もう、他のピアニストの演奏を聴く気がしなく成ってしまふ様な、完璧な演奏ですね。
ブラームス:交響曲第1番

ブラームス:交響曲第1番
カーゾンは澄んだ美音のうちに作品の本質を見事に浮かび上がらせるピアニストで、独墺系の古典派やロマン派の作品に優れた解釈を示しました。 感性で勝負するか、感覚的に表現するか‥前者の代表盤は言わずと知れた小澤盤! 後者ではサロネン盤が代表盤でしょう。‥ラトル盤はサロネン盤に近いのだが、小澤盤にもある色気みたいな表現もあり、(サロネン盤には、この色気みたいなものは殆ど感じられなかった‥)2つの演奏の中間の演奏表現の様な感じがしちゃうんだよ。
ブラームスの協奏曲は華やかな技巧よりも作品に内在する抑制された沈鬱感を見事に表出した演奏で、セルの指揮する緊迫感に満ちたオーケストラにも圧倒されます。(確か‥日本語読みが違った様な?)この曲の独奏には、ロリオ姉妹だと言っていた昔が懐かしい。端正ななかにも深い精神性をたたえるカーゾンのピアノと、緊迫感みなぎるセルの指揮。
カップリングはこの録音の初出の「世の終わりのための四重奏曲」の方がメシアンの世界に浸れて良かったと思いますよ‥。 バーミンガム市響は色彩感のある素晴らしい演奏で最高です!ラトルはこのオケとずっと演奏してもらいたかった。今のラトルはこのオケに育ててもらったのだから! 独奏のドノホーも感性の鋭い演奏でお見事!日本にはCDもあまり出てなくて本当に残念です。
ヘンデル:水上の音楽

ヘンデル:水上の音楽
作曲当時、王侯貴族の舟遊びや王宮での花火の宴の際に盛んに演奏されたであろうこれらの曲を、ガーディナー氏はピリオド楽器の特性を最大限に引き出し、当時の演奏さながらに伸び伸びとした優雅で明るい響きを見事に再現してるのかも?追い込まれたヘンデルは新国王との関係を取り戻すために、テムズ川での舟遊びの場で「水上の音楽」を演奏し、無事2人の仲は修復されたという有名な言い伝えがあったそうです。
また、録音そのもののクオリティーも非常に高く、クラシック音楽ファンに限らず高級オーディオ機器をお持ちの方には是非ともお薦めしたい一枚だと思います。いつまでも戻らないのでハノーヴァー公がしびれを切らしている頃、アン女王が急逝してしまい、次の国王としてこともあろうにハノーヴァー公が、ジョージ一世としてやって来ることになりました。
録音もオリジナルテープからの復刻で鮮明。全部で27曲からなる作品集ですが、舟遊びのあるごとに数回に分けて作曲されたようです。こんなに雄大で真剣な(古楽器の頃はもっと遊びの精神があったかもしれないが)表現を聴くと、古楽器に「偏って」音楽を論じていた自分が哀れで情けなくなりましたよん。
普段は古楽器演奏を好む私でも、ここまでやってくれれば完全にノックアウトです。
プーランク:オルガンのための協奏曲、田園コンセール(再プレス)

プーランク:オルガンのための協奏曲、田園コンセール(再プレス)
あのテンポ感といい、フランス国立放送局管弦楽団のサウンドといい、独特の味があるので、この曲のベストにしたいです。ラクロワの絶妙のテンポのタメとユレに呼応してオケが響きのカタチをぴたりキメていく、その絶妙の切れ味遊び感覚がたまらない。この2曲は、形式的にはバロック時代以来のフランスの伝統に敬意を表していますが、音楽的内容と響きは20世紀の感覚と軽妙洒脱なエスプリに満ちています。
このような理由からか、この名曲には残念ながら録音は少ないのだが、本演奏はその中でも特に秀逸で不満なくお薦めできる。幻想に満ちた自由な感覚、独特な響きと色彩感にあふれたプーランクの特徴が発揮された代表作です。一言でフランスと言っても、地域毎に文化的な感性は異なっていますが、プーランクが表現するのは大都会パリの感性。
(アラン自身は「前の録音より良くなければ再録音の意味は無い。恐らく、この素晴らしい名曲が不当にも世に埋もれてしまっている理由は、オーケストラでこの曲を演奏しようとすると多くの管楽器奏者が全員降り番になってしまうからであろう。発売当時に大好評を得たシリーズですがその後は生産中止となり入手が困難でした。
ただ響きがありすぎるのと、パイプオルガンとの距離が遠いせいもあってか、アンサンブルは乱れがちです。
リード!リード!!リード!!!

リード!リード!!リード!!!
指揮者や演奏者の年代は自分とそんなに違わないのに、演奏スタイルがここまでギャップがある事に驚きだけが残った。いまや全国の学生バンドで演奏されているリードですが、これこそがリード自身がイメージしていた理想の演奏。それが頭の中で美化されて記憶に残り、その記憶との比較でそんな想いを募らせたかもしれない。
演奏の度量や曲への追求心は十分伝わるのだが、何かが足りない。このALBUMは数多いリード作品の中から、絶対的に人気の高い曲ばかりを集め、新進気鋭の人気指揮者と完売連続の超人気吹奏楽団に成長を遂げたシエナ・ウインド・オーケストラという理想的な組み合わせでレコーディングした超話題盤。
第2弾が待ち遠しいです!…いま学生吹奏楽の世界は、迫力や勢い、音量より「表現力」を問う時代になってきているようです。リードを知らない人も、このALBUMを聴けばリード人気に納得間違いなし! ちなみに、この録音と平行して行われた2006年1月の「横浜みなとみらいホール」におけるコンサートは瞬く間に完売となり、急遽追加公演が実施されるも、こちらも即完売となるほどの注目を集めています。
たぶん、当時学生だった自分が演奏した時のモデル演奏とのギャップなのかもしれない。
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集全曲

ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集全曲
そうした経緯もあって彼の母国に対する愛情は強まり、クーベリックのチェコ作品の演奏は他の指揮者にはない深みと愛情が感じられるものになりました。曲そのものが土臭いので華やかさや緻密さを得意とするアーティストの演奏ではどこか消化不良をおこしてしまいます。チェコに生まれたクーベリックは第二次大戦直後、祖国の社会主義化を嫌い、イギリスを経てスイスへ亡命しました。
これらの曲の演奏録音の定盤は何といってもこのクーベリックとバイエルン放送交響楽団とのものであろう。このドヴォルザークの《スラヴ舞曲集》の演奏からも、チェコを代表する作曲家に対する深い畏敬の念や、祖国に対する誇りと熱い想いを強く感じ取ることができるでしょう。
そして、何よりもブラームスが絶賛したドヴォルザークの旋律的魅力がこれらの作品には宝物のように詰め込まれている。彼はこれ以前にモラヴィア地方の民謡をテキストとした「二重唱」や「モラヴィア旋律集」を作曲しており、これはドヴォルザークに関心を寄せていたブラームスの推薦に依るものであったと言われている。
「モラヴィア旋律集」が好評であったため、出版社のジムロック社から更に民族的作風の曲を作曲するよう求めてきて、最初のスラヴ舞曲作品46を書いたのですね。
ブルックナー:交響曲第7番

ブルックナー:交響曲第7番
同じ時期に出た上岡敏之さんの超スローな意欲的な演奏とは対照的なオーソドックスな演奏のひとつの演奏のスタンダードだと思います。はたして新たなシェフとわれらがCSOとの結びつきがどれほどのものかと高い関心を集め、今シーズン前半最大の目玉となったプログラムです。
朝比奈隆氏のこの交響曲の録音は、最初のフローリアンでのライブが奇蹟として現出してしまったため、のちの録音は全てその原型に近づけようという試みが働いているようですね。冒頭の部分を聴いただけでもこの演奏がただものではないことを予感させるに十分ですが、曲が進むにつれてその予感は確信へと変わってゆくのがわかります。
2007年10月29日最高!"米在住なので、無能先生や虚先生がどれだけぼろくそに言っているかは私にはわからないが、私も彼らにこき下ろされる指揮者ほど応援したくなる性分。冒頭の部分を聴いただけでもこの演奏がただものではないことを予感させるに十分ですが、曲が進むにつれてその予感は確信へと変わってゆくのがわかります。
同曲9回目の録音ということだがオケの出来ははるかに良く録音もきれいですね。これまでにハイティンクが振った3種の正規録音はすべてコンセルトヘボウ管弦楽団とのものでしたが、年とともに演奏時間が拡大する傾向がみられ、最新のCSOとのライヴではついに最長となり、より細部に至るまで目の行き届いた表現となっているのが特徴です。
バッハ:管弦楽名曲集(再プレス)

バッハ:管弦楽名曲集(再プレス)
発売当時に大好評を得たシリーズですがその後は生産中止となり入手が困難でした。トッカータとフーガニ短調のような壮麗な曲はダイナミックに、コラールのような抒情的な曲は細やかに、曲想に応じた神経の行き届いた表現に満たされています。フランス音楽とバロック音楽の名門エラート社が最初のLPを発売してから50周年目の2003年に、これを記念して50タイトルを選び、オリジナル・マスターから96KHz/24bitテクノロジーを使って全点新規にリマスターして発売された日本限定企画のエラート・アニヴァーサリーシリーズ。
クルト・レーデルは、バッハ作品の編曲と演奏で一世を風靡しました。たとえば、トッカータとフーガニ短調も常にオルガンの響きを意識しているのでまったくストコフフスキー編曲のような違和感がなかったそうです。レーデル自身の編曲によるトッカータとフーガも派手さを抑えた格調の高い演奏ですね。
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